こんなことはないでしょうか…
今まで生きてくる中で
悲しいこともあった
辛いことも超えてきた 子どものことも
心配がなくなったわけではないけれど
きっと幸せに生きていってくれるのだろう
特に大きな変化もなく
刺激もなく日々
淡々と毎日が過ぎていく
なんだか虚しい
このままでいいの?
このまま歳を重ねていくことへの不安…
夫、両親とはほとんど会話もない。
友達はいるけれど、
本当に話したいことは話せていないかも。
ダイエット、
早寝早起き
通信教育等々挑戦してみるも
続かない…
だから
何かの資格を取ったら素敵な人生になるはず
キラキラ輝いている人が羨ましくて自分を責めてしまう
美味しいものを食べても、映画を見ても
なんだか気分が沈んだまま
ときめかない。
漠然とした不安がいつもある
こんなことを少しでも、
感じていらっしゃったら 読んでいただくだけでも
ためになることお伝えしてますので
ゆっくり読んで頂けたらと思います。
こんにちは。片野あきこです。
今は
身体や心
家族の変化もあり
時々へこたれつつも、
でも、いつも希望を失うことはなく
まだまだ人生これから♪
と大きな野望を胸に
日々夢中で生きています!
家族といっても間違いないくらい
大切な仲間と日々交流しながら、
行きたいいところには行き
美味しいものを食べ
まだまだ、やりたいことたくさんあります。
家族とも本音で語っています。 よく泣きます。
が、最近はありがたいことに
嬉しくて感動の涙が多いんですよ。
そして
二人の娘は、アトピー、不登校など
いろいろありつつも たくましく育ち
夫とは、
共に乗り越えながら絆を深め やりたいことは
お互いに我慢しないで
お互いを尊重しあいながらやってます。
ですが、以前は子どものことで悩み、
生き生きと生きている人を羨み、 夫とは
会話がほとんどない、
自分のやりたいことなんてわからない・・・
そんな状態でした。 そんな中、
「これを食べたい」
と思っても、 子どもがこちらといえば、
そちらを優先し、
自分は我慢をする。 「この服好き!」と思っても
ママ友の中で無難を選ぶ。
何を食べたいのか
何をしたいのか
わからなくなってしまいました
子どものために
頑張ってるとも気づかないくらいに 日々のことに追われて、ゆったりと自分の気持ちを振り返る時間も心の余裕もない。
そんな中、仕事こそしてくれているものの、家にいる時間の夫の自由気ままな生活ぶり、 寝たい時に寝る、のんびりテレビを見る、上げ膳据え膳、
そんな姿に腹がたつ。次第に口数も減り、
どうせ話したってわかってもらえないと、
心が固まっていく。
心が緩んだら不平不満と自己嫌悪
無力感で私はだめになってしまう。
つらい…寂しい…
なんて感じてしまったらもう、
生きていけなくなってしまうのではないか…。
だから、ちゃんとしっかり、
きちんと正しく…
両親から世間から
ダメというレッテルを貼られないように
常識的に必死に生きることが大事なこと。
それが以前の私の生き方・・・でした。
おまけに学ぶこと、新しいことを知ることは
すごく自分が変わったように感じるから、
本を読んで、セミナーに行って
知識だけは山盛り、いわゆる頭でっかちになりました(汗)
これはこうすべき
あれはこの方がいい。 その物差しで、
子どもを夫を周りの人を
ジャッジしまくる… ちゃんとしてる!
「私は正しい!」と思いたいから。
そうでないと生きてる価値はないと…
信じていたから。
今の状態はあなたが悪いわけではない…
女性は、
本当にご家族のために、
お子さんのために
頑張っていらっしゃるという事実。
妻になったその日から
母になったその日から
自分のことは二の次に
半強制的に選ばざるをえなくなり、
また「自分のことは後回しにする」
母親、女性こそが
賞賛を受ける世の中の風潮 そして
自分の母もそうだったからこそ、
そこに違和感の持ちようがないということ。
それを心底楽しめているのなら
それも一つの生き方だとは思うのです。
でも、
よりよく生きるために知識を学び 自然食
手作りのある暮らし
褒める育て方
シュタイナー教育
アドラー心理学
子育てのあらゆる知識
… 上記のものは
私も必死に学んだものの一部なのですが 今思えば
「素晴らしい」
「理にかなっている」
納得の内容だからこそ、それができない時、
それをしない、できない自分自身を責め、
周りを責める原因になっていったのです。
よりよく生きるために
学んでいるのに辛くなっていく
「何かがおかしい」
私は、どうしたらいいの?
そんな疑問に答えてくれたのが
憧れの人たちでした。 え?なんであの方は
あんなに幸せそうなんだろう
なんであんなことができるんだろう
私も、あんな風に生きてみたい… ひとりでは
自分のことはなかなか気づけないもの。
自分と違う生き方をしている人がいるということに
まず気づくか気づかないか。
「あの人は特別」で終わらせれば
そのままあなたの人生に変化は起きません。
しかし
「どうしたらあんな風に生きられるの?」
と自分ごととしてみられた時、
たくさんのヒントがあることに気づいたのです。
そして最強なのは
一緒に時間を過ごすと・・・
(実は、そんな憧れの人がいた場合 その人のセミナーを受け、知識を得るよりも 一緒に時間を過ごすということはもっとも価値のあることだと言われているんですよ。
その証拠に世界一の投資家との数時間のランチを一緒にいただく権利 は、なんと数億円で競争で買われるそうです!!)
そんな環境で
その人の言動を肌で感じること。
(知識でなく感じるということの情報量は、知識と比べ物 にならないくらい多いと言われています)
そして大事なことは
その人と同じ時間を過ごし
今の自分の現在地を知ること。
(私自身も一人ではわかりません)
人生には、バイオリズムもありますし、
人生のステージの段階という視点もあります。
自分なりで考え自分は分かっていると
思いたいものですが、 残念ながら、
一人では見えないことがあるのですね。
それから…
あなたが今、
自分の望みと思い込んでいるものと
魂の望みとは多くの場合ずれているのだと
知っていましたか?
わたしはこのことを知った時は
正直混乱とショックを受けました。
『裸の王様』の話はご存知ですか
オシャレが好きな王様…
自分はオシャレが好き!!
だから世界中からオシャレなお洋服を集め
1日に何度も着替える。
そんな王様は洋服のことしか頭にない…
(だって好きなんだもの)
その思い込んだ視点の狭さに
王様は、気づけないがために 頭の悪い人には
見えないという糸と布で仕立てる!
という ありえない条件で「仕立て」を頼んでしまう。
そして本音を伝えてもらえない環境の中で
裸のままの状態で
パレードに出て 本音を伝えた子どもの一言
「王様、裸だよ」
の言葉にようやく自分のことに気づくという
話でしたよね。
実は私は、裸の王様のことは笑えません。
自分のことに気づくのに、かなりの
時間が必要だったからです。
自分に都合の良いことは受け入れるけれど
自分の都合が悪いことは
気づかないくらいにスルーしてしまうことを
何度も経験していました。
でも、自分のことを客観視して
本音で伝えてくださる方のおかげで
ようやく認めることができました。
例えば、私はおっとりした性格で物を作ることが好き!
ということも 実際全く違っていたことに気づくには
時間が必要でした。
一度「今の自分」というものリセットし
何を食べたいのか、何をしたいのか
何をしたくないのか… そんな自分の気持ちをまず
そのままわかってあげること… そしてそれを
実際行動に移してあげる。
自分のために。
まずは
食べたいものを食べる
やりたいことをやる…
やりたくないことはやめてみる…
そして
自分が俯瞰できるように
段階がステージが上がれば
やりたいと思っていたことが本当の望みでないとわかり
やめることになったり 反対にやりたくないことを
あえてやってみることが必要な時も来る・・・
でも今までやったことのないことを
やるのは怖いし
苦手なことに挑戦するなんて嫌だし
「そんなことをしていいの?」
「他の人は我慢してるのに・・・」
「やらなくていいんじゃない」
「やめたほうがいいよ」・・・
と不安も恐怖も嫌悪感も出るものだから。
一人ではなかなか難しいのです。
「まぁ、いいか・・・」
になってしまう。
(私も何度も立ち止まり時間かかりました)

でも、ちょっと待ってください。
そんな時
そばに勇敢に挑戦する仲間がいたら
…。
そっと背中を押してくれる人がいたら…。
そこでやめたら何も変わらないのだから。
挑戦することがすでに成功なのだから。
「辛いよ、怖いよ」
と言いながら一緒に超えていく。
そんな体験を通し
あなたは自分の人生に可能性を
見出していくことになるのです。
そしてそんな時間を共有しながら
心底満たされる時間を
体験していくこと 知識だけでなく
体験を通して学んでいくことで
初めて知識が知恵となり
私たちの言動が変わり
結果、 行動が変わるから
人生が変わっていく…。
その積み重ねで
どんなことが起きていくのか。
満たされた自分が
子どもにかける言葉、
旦那さんに作る料理、
両親を見るまなざし…に 変化が現れることに
あなたは気づくでしょう。
子どもが同級生だから
職場が一緒だから
同級生だから …
そこにあなたは本当のつながりを
感じてい ますか。
大事な相談をできますか。
子どもの悩み
夫婦生活のこと
自分自身のこと、本音で語れますか…
人は一人では生きていけない
ということの本意は 自分が未熟であるとか
頼らないといけないとか
支え合わないといけないとか
いろんな意味があると思いますが
私はこう考えます。
人は一人では、
進化成長はできない 自分なり
自分のやり方では、
今以上によりよく生きるのは難しい。
それにそもそも自分のことって
わかっているつもりでわかっていないものだから。
人を通して
人と付き合うことで
人と語り合うことで
見えてくるものだから。
「わたしはわたし」 は変化(進化成長)していくことを前提とした上で使うこと
そうでなければ
現状維持ならばともかく
慣性の法則に従って
成長を意図しなければ退化、後退…
いわゆる老化の一途をたどることになるのです。
老化の特徴は諦め
*どうせ無理
*もう歳だから
*今までこうだったから
*私はこうだから・・・
頑なな生き方
「あの人はいいよね・・・」と生きていくのか
よりよく変化(進化成長)していく
今よりさらに幸せを感じながら
体験したことのない喜びを感じながら生きていくのか・・・
あなたが本当に願っているのはどちらでしょうか…
それでも前者を選ぶというならそれも一つの生き方。
でもここまで読んでくださったあなたは
やはり
今という現実を
あなたの人生を
よりよくしていきたいのではないですか。
そんなあなたのために わたしのサービスはあります。